学んだこと(流産日記最終回)

              

流産のことは今回でおしまい。

そう思って書きます。

              

こんなに心も体もヘロヘロになった。

そして、お金もいっぱいなくなった。

会社にもいっぱい迷惑をかけた。

それでも、良かったことを数えたい。

               

また、お母さんになれなかった。

お母さんになるのって難しい。

だから、私の母は偉大だと思う。

このブログで、あれこれ母の不満を書くことあるけど、

私を生んでくれた。

ありがとう。

そんなことを思うことができた。

               

私はいつも元気だ。

嫌なことがあっても空元気を出す。

いちいち落ち込んでいたら身が持たないもの。

だから、元気のない人とか落ち込んでいる人に優しくできなかった。

甘えてるって思ったから。

でも、わかった。

人って、空元気も出せないときってあるんだ。

だから、今度弱っている人に会ったら優しくしてあげようって思った。

              

普段あまり人に優しくできない私でも、

私が弱ったとき、いろんな人が手を差し伸べてくれた。

会社の人も友だちも針灸のくまさんも岡田先生も優しかった。

アパートの隣の部屋の人はあまりしゃべったことがなかったけど、

彼女も切迫流産と流産の経験者でいっぱい教えてくれた。

これからも一人で乗り越えられないピンチってあると思うけど、みんな優しいから大丈夫ってわかった。

ありがとう。

              

それから、この子がキューピットちゃんで彼と私の距離をだいぶ縮めてくれた。

彼は離れて暮らしていたけど、いつも心配してくれて

優しい言葉をかけてくれた。

そんな彼のことがわかって嬉しかった。

(ちょっと、惚気)

                

GWが終わって体は充分休めることができた。

ちょっと元気になったかな?

まだまだ、いつもの調子とはいえないけど楽しいことも書くのでまた遊びに来てください。

これを書き終えて、やっと私の4月が終わったように思えるので、カレンダーをめくります。

読んでくれてありがとう。

          

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復帰(4月2日以降のこと)

          

42日漢方の岡田先生のところへ薬をもらいに行く。

流産したこと、処置はしなかったことなど話す。

「処置はしたほうが良いのだけどね」言いながらも、煎じ薬やらいっぱい処方してくれた。

「午後から、会社に行こうと思う」と言うと止められた。

もう、アパートで一人で寝ているのも辛い。

さんざん寝ていたから元気になっていると思った。

しかし、さんざん寝て体力ががたっと落ちていた。

               

それは3日から会社に行ってよくわかった。

ずっと立っているとお腹が痛くなった。

立ちくらみをした。

つわりはずっと続いている。

力が出なくて少し重いものでも持てなくなっていた。

通勤のバックをザックに変えた。

一番体に負担がかからないと思ったから。

そんなに重くないのに肩がパンパンに張った。

金曜日にはヘロヘロだった。

             

それでも、出血は13日頃止まったし、体はだんだん回復してきたと思えた。

そうしたら今度は仕事疲れだ。

腰痛と足のむくみ。だるさ。

こんな自分に慣れなかった。

              

今まで朝、早く起きて散歩して、ストレッチやら筋トレして、

会社に着けば11階のオフィスまで階段で上っていつも元気だった。

でも、流産後は散歩を15分くらいしただけでどっと疲れ、

ダンベル体操を少ししただけで体全部が痛くなった。

体力をつけようにも、つけられない。

どうしたらよいかわからない。

             

出血のときさんざん泣いたからもう、大丈夫だと思っていたけれど

心もそうとうダメージを受けていた。

時々、勝手に涙が出てきて泣けた。

心も体もお母さんになろうとしていたから、突然子どもがいなくなって、これから私はどうやって生きていったらよいだろうかとわからなくなった。

目標喪失。生きていても仕方ない。

               

何とかしなければという気持ちと

何ともならない、無理がきかない現実で途方にくれていた。

今でもそうだ。

                

子どもはすぐ欲しい。

しかも愛する人の子どもを。

それは私にとって、食欲とか性欲と同じくらい自然な人間としての欲求だ。

だけど、「子宮筋腫があまりにも大きくて手術してとらないとまた流産してしまうよ」なんて言われて、怖がりの私はまた頭をかかえる。

「年だから一刻も早く子どもを作ったほうが良い」といわれるが、まだ結婚もしていない。

二人、結婚して上手くいくのかなあ。

              

そんな不安な心と体で生きている。

ほんとうに「なんとかなる」と思っていないと生きていけない。

この流れに逆らって、泳ごうと手足を動かしても足をすくわれてしまう。

だから、ちょっとの間流れていようと思う。

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流産(3月31日頃のこと)

               

3月31日は予約の午後4時より30分ほど前に着きずっと待っていた。

しかし、なかなか呼ばれず。

午後5時過ぎになって急患がはいり先生が一緒に救急車に乗って行ってしまったので

今日は診られないといわれ首をうなだれて帰ってくる。

                

4月1日

彼と朝いちで病院へ行く。

「血液検査の結果、流産している。

手術(掻破)は必要ない」と言われる。

流産は悲しいけれど、出血のときさんざん泣いたので淡々として聞いた。

手術は必要ないと言われ、ほっとした。

前回の流産のとき、手術の後、体は重いしお腹と心が痛かったから。

あんな痛くて悲しい思いは2度と嫌だ。

              

病院から帰ってきて二人で桜並木を散歩した。

途中、アイスクリームを買って食べながら歩いた。

とっても普通のことだけど、二人で歩けることがやたら幸せに思えた。

                

子どもが死んだ。

きっと毎年桜を見ながらこの子のことを思い出すだろう。

前の流産は14日。

新しい年になり仕事始めの時、毎年子どもを思い出す。

                 

これから年の初めと桜の頃に

私は少しお母さんにさせてもらった子どものことを思い出すだろう。

そしてそれはおばあちゃんになっても思い出して。

きっと、一生思い出すのだと思う。

              

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腹痛(3月23日以降のこと)

          

生理のような出血は続く。

それでもまだ寝ているように言われたから寝ていて、寝ている間は出血をしなくてトイレにいくたびにひどく流れていった。

キューンとお腹が痛かった。

離れている彼に祈ってくださいとお願いした。

お腹の子どもにむかって話しかけたり、本を読んであげたりすると痛みが和らぐような気がした。

でも、この頃には赤ちゃんはもう死んでいたのかな。

       

27日に病院へ行ったとき、エコーも診ずに流産を判断するための血液検査をするといわれた。

その結果がわかるのが31日。

もう、流産してしまったのなら早く仕事に行きたかったので

「もし流産していたら処置はいつするのですか?」と訊いて先生からひんしゅくをかった。

先生はまだ安静にしているようにという。

でも27日から31日まで家で寝ていて、まるで死んだ卵を温め続ける母鳥になった気分だった。

悲しくて寂しくてちょっとマヌケだった。

           

トイレで出血するたびに体がどんどん軽くなった。

それから妊娠中には集中して本を読むことができなかったけど

いつの間にか本を読めるようになっていて、彼からいっぱい本を借りて読んでいた。

           

ひどい生理のような出血は322日から1週間以上続いた。

先生が「赤ちゃんが出てくるときはわかるよ」って言っていたが、私にははっきりわからなかった。

30日頃、ちょっと大きめの塊が出たような気がした。

トイレに流れていった。

もしそうだったら、あまりにもあっけない別れだ。

もう駄目だと思いつつも、31日病院へと向かう。

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安産杉(4月30日頃のこと)

流産日記も後半。もうすぐ終わるけど、今日は休憩で今のこと。

流産して出血して出血がとまって、貧血も治ってって少しずつ体調は快復していったのだけど、やはり421日に書いたとおり気分的に落ち込むし快復は遅い。

そして体力のないところで仕事をしていたので、仕事疲れが出てきたのか足がパンパンにむくんで体が冷えてだるくて腰痛でどうしようもなかった。

で、待ちに待ったGW(~o~)

家で休養と思ったけど近場だったらあまり疲れないかと思い、箱根に1泊してきました。

Rimg1512 でね、箱根神社で安産杉をみつけたよ。

今まで何回も箱根神社に行ったけど、安産杉は眼に入らなかった。

今回見つけてはっぴ~(^^

あのね、流産のことを書いてからこのブログに「流産」「切迫流産」「子宮筋腫」などなど。

そんなキーワードで読みに来てくれる人が多いの。

それを見るたび、どんな思いでいるのかな~、

怖いだろうな~、心細いだろうな~って心を痛めておりました。

だからね、切迫流産の人は無事に生まれるように

流産しちゃった人は今度は元気な妊婦になるといいねって願いを込めて

安産杉を紹介するよ。

たまたまユースで会った女の子の妹が今切迫流産で

これからお見舞いに行くといっていました。

安産杉を教えてあげたら、朝早く会いに行って喜んで帰ってきました。

偶然、そんな人と会っちゃうのだな。今の私は。

私はユースホステルの力強い温泉に入ったらすっかり温まって心も体もほっとして、なんか大丈夫かもって思えるようになりました。

箱根レイクヴィラユースホステル↓

http://www.jyh.or.jp/yhguide/kanto/hakonela/index.html

源泉賭け流しの湯だよ。

滝と神社と美術館を見て足が疲れていたし、あいかわらず浮腫んでいましたが、

夜に2回入ってぐっすり眠って朝起きたら、久しぶりに普通の足になっていて気分もすっきり!

また、寂しくなったり調子が悪くなったら温泉ってだぁと思いました。

流産日記の続きはまたボチボチと書きます。また遊びに来てください。

Rimg1513

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怖い。もう駄目かも(3月22日頃のこと)

昨日、産婦人科の先生から出血があっても茶色だったら大丈夫なんて言われたけど、今日は朝から大量の赤い血がでた。

ダメだ。怖い。どうしよう。

             

行きつけの産婦人科は休診日。

電話をして留守番電話にメッセージを吹き込むが、すぐに返事は来ない。

病院へいかなければ。何処の病院がいいのか。

          

そこで、近所の知り合いに電話をする。

彼女は私より年上で大きなお子さんが二人いる。

泣きながら事情を話すと、「市民病院へ電話をして診てもらうようにお願いするの。

それからタクシーをよんで行くんだよ。しっかりしなさい」と励まされる。

市民病院の診察は午前中だけだ。

でも、午後1時頃電話すると「今すぐ来てください」と言ってくれた。

               

診てもらうと、まだ胎嚢があるから引き続き安静にするようにと。

あの~、それだけ?

こんなに出血しているのに。

せっかく来たのに。

               

それから子宮筋腫が大きいとサイズを測っていた。

子宮筋腫はいいよ。赤ちゃんはどうなのよ。

               

このまま、胎嚢しか見せてくれなかったあかちゃん。

心音があったら、入院とか投薬の処置をしてくれたのだろうか。

わからない。

              

午後5時半くらいに会社の先輩がお見舞いに来てくれる。

私が抜けて、仕事が忙しいと思うのに。とっても遠いのに。

いっぱい食料を買ってきてくれた。流しに残っていた食器を洗ってくれた。ありがたい。

          

結局この日は動揺してずっと泣いていた。

先輩がお見舞いに来ている間のほかはずっと泣いていた。

いつも寝ているのに。夜中の2時くらいまで寝むれずに泣き続けていた。

泣きすぎて頭がくらくらして放心状態になった。

疲れた。

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お父さん(3月21日頃のこと)

         

かなり多い出血。病院に電話して診てもらうことにした。

今日は休日だが、当直医という事で診察しているのだ。

             

今日は久しぶりに彼が来る。

道が混んでいたのかなかなか来なくて、来たときには泣いてしまった。

ここのところ、一人で心細く不安で寂しくておろおろしていた。

やはり彼が頼りだ。シングルマザーなどなれるものでもない。

                

車で病院に連れて行ってもらう。

私が待合室にあった妊婦のための雑誌を読んでいると、彼が覗き込む。

興味を持ってくれて嬉しい。

          

診察ではまだ、胎嚢が見えるから引き続き安静にするよう言われる。

         

病院から帰ってきて、彼は掃除をしたりお料理をしたりかいがいしく働いてくれた。

帰りに「初めての妊娠・出産」という本を読んでとわたすと、家に帰っていっきに読んだようで、「僕がいるから大丈夫。安んじてちびうさぎを育ててください」とメールが来た。

思いがけない妊娠で彼も戸惑ったのだろうけど、すっかりお父さんになろうとしている優しさが嬉しかった。

          

それなのに次の日から生理のような出血が始まる。

          

私の高齢出産の経験をまとめて、出版社に売り込むんだぁと妊娠中は日記を書いていたけれど、生理のように出血が続き、お腹が痛くなりもう駄目だと落ち込み、気持ちが書くほうに向かず日記があるのはここまで。

でも、流産かも・・・これからどうなるんだと不安に思い、ネットでピコピコ人が書いた流産体験記を読んで慰められたからこそ、自分のこともブログに残そうと思った。だからこれからも続きます。

よろしくね。

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優しさが身にしみる(3月20日頃のこと)

          

319日。ひたすら寝る。

出血は続いている。

病院へ行こうかと悩むが、動かないほうが良いと思い午前中は寝ていることにする。

午後、やっと出血が治まる。

          

部長から電話。先輩からメールがくる。

とても優しい言葉をかけられ、また会社が恋しくなった。

会社の人たちに会いたい。

           

320日。

朝から出血。恐くなって病院へ行く。

「茶色の血だったら大丈夫だから」と言われる。

                 

買い物に行けないので姉ちゃんから勧められて宅配の生協に入る。

手続きに来てくれたお姉さんに、今、切迫流産であることを話すと、「私もそうだった」と体験談をくれた。

二人の子どもがいるけれど二人とも切迫流産だったという。

下の子は両肘を机について踏ん張るポーズがクセだとか。

お腹にいるとき、そうやって子どもが頑張って耐えてきたんじゃないのかと話していた。

そんな話を聞きながら、ちょっと涙ぐんでしまう。

           

励ましてくれるが、産むまではるかかなたのような気がする。

一日一日が長い。

               

ずっと一人で寂しかったので、彼女と話ができて嬉しかった。

神様が彼女に会わせてくれた。守られている。きっと産まれる。

このときはそう思っていた。

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出血(3月18日頃のこと)

         

朝の5時半頃起きる。

トイレに行ったら茶色のおりものが。

出血だ。

          

こわかった。

昨日、仕事を続けるか迷っていて、答えをくださいと神様に祈ったら答えが出た。

仕事を辞めよう。

          

悲しくて午前9時頃、彼に電話をする。

彼も、朝の5時半頃、お腹が痛くて起きたと言う。

お腹の子どもが彼を起こしたと思う。

「シンクロしているんだね」と彼は言った。

              

友だちのkちゃんにメールをした。

出血してこわくて泣いているといったら

「お母さんでしょ」と怒られた。

祈ってくれると。

彼女は沖縄に住んでいてちょっと不思議な力があって、遠くから私を癒してくれる。

ずっと寝ていた。

夕方5時半頃また出血。下腹が痛い。

         

病院に電話したら先生が不在。

留守番電話に出血したことを吹き込む。

午後8時頃彼から電話。

今から行こうかと言ってくれるが・・・。

          

午後10時過ぎ病院より電話がくる。

明日も出血が続くようだったら病院へ行くことに。

          

夜遅くkちゃんからメールがくる。

ありがたくて泣ける。

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わかって欲しい(4月21日、今日のこと)

             

ずっと3月の流産のことを書いていて、今日はちょっとお休み。

今のことを書きます。

              

まだまだ、体は疲れやすいし心に力が出ません。

             

昨晩は急に死にたいって思って、涙が出て困ってしまいました。

そんなこと、流産してから時々ある。

それで、友達に電話をかけておしゃべりをして、やっとほっとしていました。

ただのおしゃべりだけど、嬉しいの。

           

漢方の岡田先生のところへ行ったら、顔がしわくちゃだぞって言われた。

だって、存在しているのがやっとだもの。

顔のことまでかまえない。

そしたら、ありがたそうな油を出してくれました。

時々塗ると良いそうで。

         

まだ、そんな調子です。

          

会社の診療所の看護婦さんとか岡田先生とかは、大変だったから仕方ないよ。

って言ってくれるけど。

いつまでも疲れた、元気ないって負のオーラを出していると嫌われちゃうのではって思ってしまうし。

毎日電話をくれる彼にもつい不調ばかり訴えてしまって、彼に優しくできなくて悪いなって思ってしまう。

         

自分自身辛いし。

焦る。

           

岡田先生の診察室に入ったら

「春だね~。力が抜けるね~。いいね~」って言われた。

そんな雰囲気をかもし出しているそうで。

しばらく、ふにゅぁ~ってします。

今までのキャラとは違うけど許してください。

                

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